札幌でフラを踊る人のブログ

日々のレッスンとハワイとフラに関する覚え書き

群舞

先日、フラメンコを観に行きました。

初めてのHitaru、席は1Fの後ろから2列目。ダンサーの顔も衣装の柄も見えやしない。残念。
公演の内容はとてもよかった。少し時間が長かったかなー。その代わりというかアンコールはなかったのだけど。

感じたことを少し。
フラメンコはロマの人びとが受けた差別、抑圧、恋愛への情熱などを歌と踊りにしたもの、だという。
ダンサーは笑わない。これでもかこれでもか、というほどに背筋をまっすぐに立てて踊り続ける。女も男も。
素晴らしい足の動きも、ひらひらと動くアバニコも観る人を強く引き付ける。

のだけれども。

何曲か、群舞のナンバーがありました。
恐らくダンサーのキャリアも力量もまちまちだったと思います。
カラダも大きく、ひと際目を引くダンサーの技術に、わたしの目は釘付けになりました。
他のダンサーがただひらひらとアバニコを動かしている時、彼女の動きには一切の無駄がなく「ああ、こう動かすことが正しいのだな」とすぐにわかりました。
フラの世界では群舞は「揃える」もの。
手や体の向き、角度、視線、タイミングを揃えることに注力します。
しかし、この素晴らしい技量のダンサーは他のダンサーより少しタイミングをずらして揃えることをしないのです。
よく言えば「音をたっぷり使っている」のですが、それが一人だけなのはやはり群舞を踊るうえではよろしくないような気がするんですよね。
フラメンコの世界はそうじゃないのかもしれませんが。
誤解を恐れずに言えば、タイミングをずらして他のダンサーと揃えないことで「上手いでしょ、アテクシ」感満載になるのですよね。
上手いダンサーというのは、むしろ力量的に劣るダンサーに合わせつつ、他のメンバーを引っ張っていくことのできる人ではないかと思うのです。
プロのダンサーであるこの方に、それがわかっていないはずもなく。

最近いろいろなことがあり、その中で強く思うことは、群舞を踊る上で一緒に踊るダンサーへの信頼と尊敬は欠くことができないということです。
見ず知らずの、年齢もキャリアも何もかも違う女たちが「フラ」という一点だけでつながって、ステージに立つという一つの目標に向かって頑張って行く。
その中で共感が生まれ、信頼が生まれ、尊敬に繋がっていくと思うんですよね、わたし。
そういうことをプロのダンサーが理解していないはずはないし、その上でのあの踊りだったとすると「ちょっとなー」という気持ちになってしまったのです。

群舞は難しいです。
でもやりがいがある。曲の世界を観る人に伝えることを、みなで心を合わせて取り組んでいきたいと思います。