札幌でフラを踊る人のブログ

日々のレッスンとハワイとフラに関する覚え書き

アロハの心

フラを踊る人の中に、ある種の信仰めいた合い言葉がある。
「アロハの心」だ。

アロハはAlohaと綴る。Alohaの「A」はアカハイ(Akahai:思いやり、親切)、Alohaの「L」はロカヒ(Lokahi:協調性、調和)…と言ったように、それぞれ意味があると主張をする人がいる。
それはそれで美しい、と思うけれど、そもそもハワイの人びとは文字を持たなかったのに、異国の言葉であるアルファベットを当てはめて表記するようになってからの話、だろうね。後付けのお話、ということか。

フラは群舞なので、常に自分以外の誰かと「合わせて踊る」ことを求められる。
踊り手全員が同じ心で、同じ熱量で、同じ力量で踊ることができれば「合わせて踊る」ことのハードルは、それほど高くないかもしれない。
踊り手それぞれの相性の良し悪しとか、好き嫌いとか、力量の違いとか、そういったものがあると、不協和音が起きる可能性、大。
そんな時の「戒め」として「アロハの心」という言葉が存在するのだろうか。

ハワイの人びとはいつだってアロハに溢れていて、ハーラウのメンバーは皆心一つに合わせて踊っているのか、と思えば、そうでもないようだ。
だから「戒め」が存在するのだと思う。
以前に、とあるアーティストの専属ダンサーだった方のインタビューを読んだ。
彼女が専属ダンサーに採用された途端、以前からそのアーティストと踊っていたダンサーや自分のハーラウの仲間に、徹底的に嫌がらせをされた、と語っていた。
嫉妬、だろう。
嫌がらせをして来る人に対して、彼女がどういう態度を取ったのか、分かり合えたのか、それとも無視し続けているのか、そこまでは書かれていなかったのでその後を知る由もないが、「やっぱりな」と思った。

どの舞踊もそうだけど、ダンサー同士の小さな小競り合いは存在する。
当たり前。にんげんだもの。みつを。
フラだって同じ。「戒め」が必要なのだろうね。
まぁ事フラに関しては、声高にアロハを叫び相手にアロハを強要する人ほど、実際は著しくアロハに欠けていたりするものだ。滑稽。

自分の胸に手を置いて、わたしにはアロハの心が存在するのかと自問してみるが、果たして?

こんなことをつらつらと書いているのは、つい先日とある人に思いっきり悪意をぶつけられる、ということがあったから。
あ、とある人はフラ関係者ではないですが。
悪意に対してこちらからは聖人君子のようにアロハを贈ることができるか、というとそれはなかなかに無理な話だなぁと。
わたくしもまだまだ未熟である。ははっ。